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エッフェル塔見物を楽しんだ後、シャンティイ城に向かいます。
「地球の歩き方」によると、(P430)⇒
広大な森に囲まれて建つ優美なルネッサンスの城で知られるシャンティイ。19世紀から競馬が開かれていて、城の隣には広大な競馬場があ
る。シャンティイ競馬場というと、6月に女性たちが競って華やかな帽子をかぶって集まるディアーヌ賞が有名だ。
パリ中心部から北に約20kmぐらい、パリ北駅から列車で25分、
我々は車で出かけたのでシャルルドゴール空港への高速道路
から空港を右に見なが左折、40分ぐらかかったかな。
高速道路から離れると、もう一面の農地、平らな農地が地平線まで広がっています。フランスは農業国だと言われていますが、まさにその通りを感
じる景色でした。
ほりに囲まれたシャンティイ城です。 |
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19世紀に最後の城主となったオーマール公の絵画コレクションが現在はコンデ博物館(Musee Conde)として公開されています。
Musee Conde と書かれた入場門 |
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マリーアントワネットの肖像画です。 |
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当時の武器が数多く展示されています。 |
時刻は2時過ぎた頃、パリに戻っての昼御飯は遅くなり過ぎるし、ここいらで食事が出来る所はないものかと。お城の中にはレストランがありまし
たが、皆さん、スーツを着て着席されているので、ここはちょっと格式が高い。お城の広い庭を川が右の方に流れています、その奥の方にレスト
ランがありました。森のレストランです。
森のレストランです。 |
お城にはあちらこちらに運河がありました。水がとても綺麗です。多分、湧水です。 |
ノーリザベーションでもOKだったのでラッキーでした。ドウと言ってたら断られたかも、クワトルと言ったから。
食事をしたのはこの建物の右側に設置されたテントの中でした。
「森の料理」、美味しかった。ビールとワイン飲みながら、極楽・極楽・・・カロリー満点であります。
前菜はフォアグラです。 |
チーズは種類が多くで分かりません。適当にオーダーしました。右はカマンベール、左はわからん。Tomとか言ってた。 |
メインは鴨料理にしました。美味しい・・・ |
ゼザートです。 |
「地球の歩き方」にはこのレストランは、記載されていません。是非とも記載していただきたいレストランです。
「地球の歩き方」はこのシャンティイでシャトー・ド・モンヴィラルジェンヌと言うシャトーホテルを紹介しています。このお城から歩いて20分ぐらい
の所です。(P431)
お腹も一杯になったことだし、そろそろパリに戻るか。そうだ、モンマルトルの丘に行こう。
「地球の歩き方」によると、(P183)⇒
パリで一番高い丘、モンマルトル。丘の上には白亜の聖堂サクレ・クールがそびえる。風車小屋とぶどう畑があるばかりだったモンマルトル
が、パリ有数の歓楽街に変貌したのは19世紀後半のこと。20世紀初頭には物価の安さと自由な雰囲気に惹かれた芸術家たちが住み着
き、趣ある町並を描いてきた。変貌著しいパリだが、この界隈は昔と変わらぬ姿で旅人を迎えてくれる。
歩き難い石畳道をてくてくと登って行きます。丘の高さは129mです。 |
丘を登りきった所にあるテルトル広場には、絵を描く人が沢山。書いた絵を売っています。 |
テルトル広場の絵描きさん。 |
参道の両脇には、レストランやCAFÉや土産物屋さんがひしめいています。 |
サクレ・クール聖堂です。正面入口の上の2つの銅像は、聖ルイ王とジャンヌ・ダルクを表しています。 |
モンマントルの丘から見たパリの街。南西の方向。 |
モンマルトルの丘からみたパリの街。南側。 |
サクレ・クール聖堂の中です。10月に62歳で死んだ妹の為にローソクを献灯してきました。聖堂内は撮影は禁止の筈でしたが・・・・ |
テルトル広場の入口です。 |
帰り道、下るのも足にきます。この右下に「パリのぶどう畑」があります。 |
モンマルトルの丘は、映画、テレビではお馴染みの観光場所です。日曜日の夕方とあって、大勢の人々が観光に来ていました。もう少し居たい
気持はありましたが、秋の夕暮れは早いです。それと、私のカメラも次男のカメラも電池切れを起こしていたので、長男夫婦の家にひとまず帰る
ことにしました。
帰りの車の中、頭痛と体の倦怠感、「なんだ、これわ・・」と思う不調が襲って来ました。そうです、時差ボケ病です。午後6時、日本時間では+8
時間ですから、26時(午前2時)。体が、「もう寝させて下さい。」と言ってる。
私の場合は時差ボケがかなりきつく出るのです。小一時間程、寝ると体の機能が完全復活しました。
さあ、夜の街に食事に出かけよう。
お腹を減らすために凱旋門に登りに行こう、と言う事になり、家から歩いて出かけました。凱旋門までは、徒歩で10分ぐらい。
近づくと、「ドカーン・ドカーン」と大きな音がします。なにやら、騒がしい、大きなスクリーンが立てられ、テレビが映っています。
大砲の音だったのです。
シャンゼリゼ通りは通行止め、人々の行列が続いてます、道端には人垣。当然、凱旋門などには登ることは出来ません。
「何だ、何だ。。何が起こってるのか?何をやってるの?」
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フランスの祝日はキリスト教に関わりのあるのを除くと、
1月1日:元旦
5月1日:メーデー
5月8日:第二次世界大戦終戦記念日
7月14日:革命記念日
11月11日:第一次世界大戦休戦記念日
12月25日:クリスマス
なのです。今日は11月11日、第一次世界大戦の休戦記念日だったのです。シャンゼリゼ通りを行進する人々は当時の服装をして行進して
います。
1918年11月11日に第一次世界大戦の休戦協定が連合国とドイツ帝国の間で締結されました。休戦協定は11月11日午前5時(GMT)に
同意され、パリ時間の午前11時発効しました。有名になった、「11月11日11時」です。
今の日本で終戦記念日の8月15日に、このような行進を、銀座晴海通りや大阪御堂筋で行ったら、どうなるだろう?
国の内外で反発の嵐が起こるだろうなあ、なんて思いながらも、
「負ける戦争をしたらあきません。」
「戦争をやるなら勝たなきゃあきません。」
「負ける戦争した奴等は、本当に罪深いで。」
「いつ、何時、戦争の火の粉が降りかかって来るかもしれない世の中になって来てるので、勝てるかどうかのシミュレーションはしっかりとして
おかなあきません。」
この行進を見ていると、色々な思いが頭の中を駆け巡ります。
花のシャンゼリゼ通りをウィンドウショッピングをしながら、晩飯のムール貝屋さんへ。。。
ルイヴィトン本店のクリスマス用のディスプレイです。華やかで、本当に綺麗です。
さて、本日の晩飯はここ、ベルギーが本店のムール貝のチェーン店レストランです。
Leon(レオン・ド・ブリュッセル)と言います。ムール貝の養殖から行っており、結構名前が知られています。
ファミリーレストランのようなカジュアルなお店で、アジア人も結構いました。敷居はそんなに高くはない
ようです。また、値段の方もリーズナブルです。フランスには9店舗あります。
ムール貝の蒸し方が色々あるようで、「白ワイン蒸し」「カレー蒸し」をオーダーしました。蒸し方によって貝の
大きさが違っていました。「カレー蒸し」の方が貝が小さかった。
その食べ方にも流儀があるようで、まず、一番初めはホークで貝から身を出して食べる。次からは、初めに
食べた貝の殻を使って、貝の身を取り出します。
日本では、ほとんど食べる機会がない貝ですが、う〜ん、どんな味だったかな・・牡蠣でもなし、蛤でもなし
微妙な触感でした。くっついて出てきたポテトフライが貝によく合っていました。
LEON DE BRUXELLESのサイトは⇒LEON DE BRUXELLES
いろんな旅サイトがこの店を紹介しています。⇒ALL ABOUT Travel.jp
「地球の歩き方」にはP298に記載されています。
さて、食事の後は、明日からのパリの街見学で必須の、「地下鉄の乗り方」を教わります。まずは、自動販売機での切符の買い方、自動改札口
からの入り方、出方。切符の自動販売機、お札は使えません、コインと後はカードのみです。自動販売機は2種類あって、若干、オペレーション
が違います。
初めのとっかかりさえ、教えて頂ければ、後は簡単。明日は大丈夫でしょう、の筈。
ホテルに帰ってまず最初にした事。携帯電話、カメラの充電です。コンセントが日本と違うのです。アダプターを用意しなければ充電できないの
です。幸い、次男がそれ持って来てくれていたので助かりました。1つのコンセントで携帯、カメラ、合わせて5台、夜中に起きて機器の交換をし
たようです。
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