2013年11月10日から16日までの7日間、ダイヤモンド社の「地球の歩き方 パリ&近郊の町 2013〜2014」
(この旅本は本当に役にたちました。初めて行かれる方にお薦めします。)を携えて、パリの街を楽しみました。
JTBのパリフリープラン7日間を予約しました。旅の行程は、下記のとおり。
11月10日 |
関西空港 11:30発 KLMオランダ航空868便 ボーイング777−300 425人乗り |
11月10日 |
アムステルダム スキポール空港 15:20着 |
11月10日 |
アムステルダム スキポール空港 17:45発 KLMオランダ航空 1245便 ボーイング737−600 |
11月10日 |
パリ シャルルドゴール空港 19:00着 |
11月11日(月)〜11月14日(木):自由行動 |
|
11月15日 |
パリ シャルルドゴール空港 11:40発 KLMオランダ航空 2008便 エアバス319 |
11月15日 |
アムステルダム スキポール空港 12:55着 |
11月15日 |
アムステルダム スキポール空港 14:40発 KLMオランダ航空 0867便 ボーイング777−200 |
11月16日 |
関西空港 9:30着 |
T.出発( Departure)
11月10日、12:00にオランダ アムステルダム行きのボーイング777−300は関西国際空港を飛び立ちました。
飛び立った時の気圧配置図が左の図です。(出展:日本気象協会)この日は北海道にある
発達している低気圧とそれにかかる前線のために、天候は大荒れの予想でした。
この時刻には、関西国際空港では、そんなに大荒れの状況ではなかったのですが、離陸し
て、15分程度経った頃から、機体が揺れ始めました。
ボーイング777−300は下の図に示すように大きな飛行機です。3列・4列・3列で搭乗人員
は400人を越えます。
「どし〜ん」と言う音から始まり、機体は左右・上下、1時間程度、丸でジェットコースターに乗っている(乗り合わせた若い女性が言ってました。)
ような状態が続きました。
あまりの気流の悪さから、飛行機のトラッキングを見ていると、通常の飛行コースを変えて北上しています。通常のコースは「緑色のコース」のように
朝鮮半島の付け根から中国大陸を横断してロシアに入りますが、今回は「赤色のコース」で北海道の北端、稚内まで北上し直接ロシアに入りまし
た。ここまでで、おおよそ1時間。揺れっぱなし。もう少し、小さな飛行機だったら、多分、気
絶してます。
さて、下の2図は大圏航路を示したものです。地球上の2箇所の最短距離を平面の地図に
描画すると、こうなります。左が通常の関西国際空港とアムステルダムのスキポール空港間
の航路です。今回、気流の悪い所を回避して北海道の稚内まで北上したために、そこから
スキポール空港までの航路は右の図のようになります。
時速800km台で高度は9000m台で西に向かいました。
この変更した航路のために、より北極圏に近い所を飛ぶことになり、普通ならば、昼間が続
いているはずが、途中から夜間になりました。この時期、北極圏は1日中、夜なのです。
ここらあたりから、体内時計が狂いはじめます。
2点間の距離:9200km |
2点間の距離:8400km |
4時間ぐらい、夕闇の中を飛んでいたかな?時速は800km台、時には780kmにまで減速しました。強い偏西風があったのでしょう。スカンジナビ
ア半島に さしかかり、南下しだしてからは、900km台・・1000kmまで速度を上げて行きました。関西国際空港をほぼ30分遅れで離陸したので
すが、オランダ アムステルダム、スキポール空港にほぼ定刻に着陸しました。日本時間で午後11時20分。普通なら、そろそろ、おねむの時間です。
KLM航空、時刻には几帳面です。それとキャビンアテンダントの男性も女性もオランダ人は皆、背が高い。何を食べてるとあんなに背が高くなるの
か本当に不思議です。驚きます、噂どおりでした。
EUのハブ空港、スキポール空港について『地球の歩き方WEB版』は「アムステルダム・スキポール空港は、世界中のトラベラーが高く評価するハブ
空港だ。わかりやすい案内板や、動きやすいターミナルの造り、さらに乗り継ぎ時間を飽きることなく過ごすことができる充実した施設は、シンガポール
のチャンギ国際空港と並び称される。」と書いています。
飛行機を降りた途端、トランジット(パリへの乗り換え)手続きのプレッシャー。ゲート出口にKLMの日本人アテンダントが居たので、乗り換え飛行機の
出発ゲートだけは聞いておきました。空港内は広いです、歩けども、歩けども、聞いたゲート番号が見えません。同行していた次男坊が、免税店に
引きつられて行こうとするのを阻止し、先を急ぎます。入国審査ゲートには長い人の列。かきわけ?、前へ進みます。
確かに、空港内の案内掲示板は見やすく、無駄がないように思いました。近いゲートには、末尾の番号
が 記載されており(例えば、E-1とかD-2)、遠いゲートはアルファベットの文字だけ。
正確には測ってはいませんでしたが、パリ行きのゲートに到着するのに30分〜40分程度かかったと思
います。
この空港の地下1Fには幹線鉄道のスキポール駅があり、アムステルダム中央駅まで15分です。また、
アムステルダム中央駅からパリ北駅まではタリス(高速列車)が運行されており、3時間40分、最安値
9,500円で行けます。田園風景を楽しみながら、パリに入るのにはうってつけのコースかもしれません。
但し、大きな荷物を持っていない場合。
ヨーロッパ内の高速鉄道のチケットは
で予約することができます。
さて、パリに行くにはもう1度、飛行機に乗らなくてはいけません。日本時間25:45(11日1:45)発のKLMパリ行きです。機体はボーイング737
−700です。小さいのです。関西国際空港と中国・北京空港間は日本航空が撤退し全日空のみになってからこの機種しか飛んでないのです。
よく揺れるのです。
ある時、北京の空港でビジネスマンが「この飛行機、日本まで、本当に飛んで行けるのやろか?」なんて呟いていたのを思い出します。
下の写真の飛行機です。3列、3列、150人くらいかな、乗れるの。
ボーダリングの時間になるとゲート前は人で一杯になりました。
満席。。。。狭いです。。。
まあ、距離にして350km、1時間で着くから耐えれるか。。。。。
飛行機がタラップから離れて、動き出しました。時速40km程度
で走ります。。走ります。。ひたすら走ります。。隣りに高速道路
が見えます。このまま高速道路に入るのかな?と思うぐらい走り
続けます。15分も走りました。さすがハブ空港、広いです。定刻
15分遅れで離陸。。。
この飛行機、軽いのでやんちゃに夕暮れの空を上昇して行きます。
40分程度でパリの空に入りました。郊外に光の輪が、点々と見え
ます。
ほぼ定刻日本時間27:00(11日3時)にパリ シャルルドゴール空港に着陸しました。この空港もEUのハブ空港です。広い。タラップに着くまで
空港内を15分程、走りました。
10日の朝、6:00に起きてから、シベリア上空で2時間程度、うとうととしただけで、11日午前3:00まで起き続けています。
ドコモのガラケーは、アムステルダムで「現在オランダにおる。」と入力したら、現地時間と日本時間両方が表示され、通信業者もヨーロッパの
ORANGEに変わっていました。まだまだ、ガラケー便利です。。。。
U.パリ(PARIS)の街へ
入国手続きをオランダで済ませたことから簡単に空港から出る事ができました。乗り継いだ飛行機が小さかったので、預けた手荷物も比較的に
早く出てきました。
さて、ここからホテルに行くプレッシャーが・・・・・・いやいや、今回は無いのです。パリに住む長男夫婦が迎えにきてくれていました。嬉しい限り
です。
長男夫婦の傍に年配の女性が・・・、「誰?、見たこともない人。」
「どうしたの、どなた?」
「我々がここに来た時、娘さんと連絡をとってるのに通じないからと相談を受け、今、娘さんに電話していたところ。もう1時間近くもここで待ってる。」
とのことでした。親子、バラバラに日本を発ち、ここで待ち合わせている。今日の宿泊予定は近くのホテルだとのことで、息子はホテルで待つこと
を進言したが、「ここで、待つ!」と言いはっているらしい。
いやはや、日本国内ではないんだから、ちょっと無茶な待ち合せ場所。この空港、広いのですぞ。危ない・・危ない。日本の女性供。
こりゃ、大変だわ、捨てては行けないし、一応、待つしかないわな。と、思っていたら、
娘さん、「まあ、お母さん、こんな所にいたの」
会えました。
良かった、良かった、我々も解放された。さあ、まずはホテルへ。
ホテルの名前:PAVILLON OPERA
GRANDS BOULEVARDS(パビヨン オペラ グラン ブルバール)
ホテルの住所:11, RUE GEOFFROY
MARIE, PARIS, 75009, FRANCE
HOTELS.COMの評価によるとこのホテル、5.0満点中3.1、★★★ 「良い」。
「泊まるだけならいいと思います。ホテルの場所は分かりにくいです。フロントの方は英語も通じます。近くにスーパーもあります。オペラに歩いて
行くのはちょっと遠いです。」宿泊経験者の評価でした。
Hotels.comに書かれている概要は、
ロケーション:
「パリ (Opera -
Department Stores周辺) のパビヨン オペラ グラン ブールヴァールは、フォリー ベルジェー、
ギャラリー ラファイエット百貨店、パリ オペラ座から 1 km 以内の場所にあります。ルーブル美術館、ノートル
ダム寺院も 3 km 以内にあります。」
ホテルの特徴:
「ホテルにはバー / ラウンジがあります。
公共エリアでは、無料の無線インターネットアクセスをご利用いただけます。
この 3 つ星ホテルのビジネスアメニティには、ビジネスセンター、ミーティング / 会議室があります。
ホテルのスタッフがコンシェルジュ サービス、ツアー / チケット案内、ツアー案内などの手配をサポートします。 多言
語サービス、ロビーでの無料新聞サービス、ルームサービス (営業時間限定)もご利用いただけます。 有料の送迎サー
ビスとして、空港送迎 ((要リクエスト))をご利用いただけます。」です。
ロケーションは抜群でした。一番近い地下鉄の駅まで、数分で、且つオペラ地区の賑やか通りラファイエット百貨店まで2駅、歩いても30分程度で
行けます。大通りから少し入っているので、静かです。
バー/ラウンジはありましたが、誰も使っていませんでした。小さな、家族的なホテルという感じでした。
また、この通りには類似の★★★ホテルが並んでいました。JTBのオーダーがかなりありそうな通りです。更に、ホテルの真向かいにはお鮨屋さん
もありました。
このホテルの料金、1室、14,000円〜、価格もかなりリーズナブルです。パリのホテルは高いです、★★★★以上になると目の玉が飛び出る程
です。確かに、泊まるだけなら、GOODなホテルです。ホテルでショッピング、会議、食事、エステ、遊びをしない方々には薦めです。
Hotels.comからの予約は⇒パビヨン オペラ グラン ブールヴァール
JTBからの予約は⇒パビヨン オペラ グラン ブールヴァール
ちなみに、「グラン ブールヴァール」とは、ホテルに近い地下鉄の駅名です。
シャルルドゴール空港からホテルは南西の方向にあります。車の中で息子夫婦から安全に観光する為のガイダンスを受けます。夜のパリは危な
い所がいっぱいありそう。車の助手席のガラスが割られて、座っていた人の背広の上着をかっさらわれたとか、地下鉄で若い女の子が数人集まっ
て囲まれて財布をすられたとか。。もろもろ。。。
夜の街を走っていると、危なそうな所が色々、見えてきます。あります、あります、暗闇に黒い目の集団。。ゴミの山に黒い目の集団。。。危なそう。。
「ホテルの場所はわかりにくいです。」とHOTEL.COMには書いてありましたが、なにせ車にはカーナビがついています。グルグル周りながら、着
きました。
「この辺だよ。」車を降りてホテルを探します。何せ、同じような店構えのホテルやレストランが連なってるのです。ホテルだと思って入るとレストラン。
「隣だよ」と言われて、やっと見つけました。
ホテルのフロントでチェックイン。部屋NOは「101」で「このすぐ上だ。朝飯も同じフロアー。」と聞かされる。
「なんで101号室が2階にあるねん?」
荷物をドカドカと部屋にぶち込んで、長男夫婦への貢物が詰まったトランクを、また担ぎ出して、夜の街をドライブ。有名所を周りながら長男夫婦
の住居へ。
エッフェル塔です。金色の照明はゴージャスで綺麗です。 |
シャンゼリゼ通りから見た凱旋門です。 凱旋門の周回道路には、信号がありません。へたな運転しているとグルグル廻って出れなくなります。ここで事故ると、どんな状況でもヒフティ・ヒフティらしいです。自分が止まっていてぶつけられてもです。 |
長男夫婦宅で晩御飯(我々にとっては、朝御飯?)をご馳走になりました。「かやくご飯」が美味しかった。
夜の11時頃(だったと思う。)にホテルに、帰ってきました。日本時間は11日の朝の7時。10日の6時に起きて、11日の7時まで起きていた事にな
ります。25時間、起き続けて、食べ続けていた事になります。良くない・・良くない。。。
V. パリ(PARIS)の街オリエンテーションとシャンティイ
11月11日、朝8:45に長男夫婦がHOTELに迎えに来て、1日中、パリの街を案内してくれる事になっていました。この日は丁度フランスの休日
だったのです。何の休日だったかは、後で分かる事になります。
朝6:30頃、目覚める。寒かったけれど意外と寝たように思う。
あんなに食べ続けたのに、また腹が朝飯を食おうとしている。いけない、いけない、少し運動しなければ、と言うことで朝食前にHOTEL周辺の早
朝の街角探索に出かけました。
HOTELを出て右を向いた光景 |
HOTELを出て左を向いた光景 |
オスマン大通りから北に300m程度入ったパリの下町の光景です。いいですね。。。 |
大通りを一歩入ると、まさに迷路。同じような町並みが続きます。 |
車が両脇に同じ方向で留めてあります。一方通行がやたら多いのです。 |
休日も朝、早くからCAFÉは開いています。 |
HOTELとCAFÉ、レストランが連なっています。 |
このパン屋さんで、腹の虫が騒いで、チョコレートパンを買ってしまった。 |
パリの街は三叉路だらけです。その突端にはこのように必ず CAFÉかレストランがあります。街角がみんな似ているので迷子 になりそうです。 |
これが宿泊したHOTELです。 |
HOTELで一番の楽しみは朝のバイキングです。どんな物が並んでいるか、ワクワクしながら同じ階にある食堂へ。う〜っ、種類が少ない。野菜が
ない。これが、今日の朝飯です。ほぼ、これと同じ朝飯を4日間、食べることになります。
朝、テーブルに並べられていた料理を思い出しながら。。書きます。
飲み物:水、牛乳、ジュース、珈琲
果物:普通のりんご、青りんご、キーウイ、西洋なし(総てそのままの姿で)
パン:クロワッサン、フランスパン、食パン
肉類:サラミソーセージ、ハム
チーズ:カマンベールチーズ
卵:ゆで卵
ヨーグルト:2種
シリアル:2種
3日目の朝、次男坊が
「おとん、我々、食べ方間違ってた。パンとハム類、別々に食べてるやろ。
フランスパンをナイフでこう開いて、この中に詰め込むんや。」
なる程、フランス語を喋っている方々はそうしていたようです。
ゆで卵は美味しかった。
さて、今日の予定は、HOTEL⇒「パレ・ガルニエ」の前を通って⇒「ノートルダム大聖堂」⇒「エッフェル塔」⇒郊外の「シャンティイ城」⇒
「モンマルトルの丘」⇒みんなで外で夕食、です。
創建850周年の看板 |
|
|
|
|
すずめと遊ぶおじさん。すずめは日本と同じ鳥、インターナショナルなのだ。 |
ノートルダム大聖堂、1163年、パリの司教モーリス・ド・シュリーによって建設が開始され、今年2013年に850周年を迎えた。ゴシック建設を
代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂です。創建850年を迎えるにあたり、2012年12月12日から2013年11月24日の間、
様々な記念行事が予定され、その中でも新たに制作された鐘が大きな話題となりました。
毎正時、この鐘の音が響き渡ります。
まるでこの事を知らなかった私にとっては、突然の「鐘の音」。瞬時の驚きから、すぐに、心地よい気持に。。。。。日本のお寺の鐘の音と違う楽
しさを含んだ音色でした。
|
シャンド・マルス公園から見たエッフェル塔 |
上空の気温が低くなって来てるのでしょう。飛行機雲が綺麗に出来上がっています。 |
シャイヨー宮のテラスから見たエッフェル塔 |
パリのランドマークのエッフェル塔。1889年5月6日に、僅か25ヶ月の工期でオープンし、5月16日から半年間のパリ万国博覧会に合わせて
建築されたものです。
パリの街には、古い形を残したままの低層階の建物がずらりと道端に並んでいます。その多くが地上階は住居区となっているようで、街中を埋め
尽くしています。観光施設、商業施設、事業施設、それに住居施設が完全に一体化した街並です。近代的な高い建物といえば、パリ市内では、
モンパルナスタワーと僅かだけで、あとは低層階の古い形をした建物が面積105.4Km2の中にぎっしりと埋まっています。
その街の美しさや地勢的にヨーロッパの中心であることから世界中の大金持ちがこの地になんらかの住居を構えているようにも思える街並です。
更に、OECD(経済協力開発機構):加盟国数34ヶ国、ユネスコ(国際連合教育文化機関):加盟国数195ヶ国、IEA(国際エネルギー機関):
加盟国数28ヶ国等の国際機関の本部もあり、世界官僚の集積地でもあります。
|
|
森記念財団都市戦略研究所、主任研究員の久保隆行さんの論文では、この街を「究極の都心型都市 パリ」と呼んでいます。
パリ市、東京都(23区)、大阪市の基本情報の比較です。大阪市の面積の半分に大阪市とほぼ同じ人口が暮らしています。まさに、コンパクトに
作られた街の見本なのです。
|
パリ市 |
東京(23区) |
大阪市 |
人口(人) |
2,215,000 (2010年) |
8,967,000 (2011年) |
2,665,000 (2010年) |
面積(Km2) |
105.4(2010年) |
622.0(2010年) |
222.5(2010年) |
|
|
|
|
以下、久保さんの論文から引用します。
「パリの住民は基本的にすべてが都心居住者であり、彼らの活動が都心の活力を強力にしている。GPICI(Global Power Inner City Index) にお
いて都心部の0〜5km 圏と5〜10km 圏の人口を比較したところ、主要8 都市のなかでパリの中心部から5km 以内に居住する人口が上海に
次いで最も多いことがわかった。人口密度に換算すると1ha あたり約250 人とニューヨークや香港よりも高いことに驚かされる。また、これらの都
市は高層化が進んでいることに対してパリには100m を超えるような高層建築物は僅かにしか見られない。多くの人がより地表に近い場所で寄
り添いながら住んでいるのである。地上を見下ろすと道路と河川、緑地以外の場所はほとんど建築物で覆われている。人口構造物の歴史的な堆
積によって構成されたユニークな街並みを都心居住者たちが支配しているのである。」
人口減少と高齢化が進んでいる日本では、全国のあらゆる所でコンパクトシティーを目指した都市計画が語られていますが、このパリの街の構
造は大きなヒントになるように思います。
今、大阪では、大阪都構想なるものが、府と市の二重行政を解消するとの目的で知事、市長主導で進められています。行政の簡素化だけを目的
とした都構想は将来の街の姿を全く提案していません。このパリと言う街の構造を見た時、大阪市はもっと地域エゴを追求(大阪市に住む事が得
をする。)したコンパクトな将来的な都市の姿を単独で追求した方がいいのではないか、という思いになります。大阪都構想なんてもってのほか。
NEXT→(2ページ目へ)