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11.さあ帰ろう

11月14日、昨日までの天気とは、異なり、本日は曇り。午後から天気は崩れる予報。でも今年のパリ旅行は本当に天気に恵まれました。それに、暖かかったのです。

帰りの飛行機に合わせて、9:30にタクシーを呼ぶ。ちゃんと来ました。
金曜日なので、道路は混んではいませんでした。運転手さんは、東洋系の人。そのように手配されているのでしょう。約40分で空港に到着。料金は43?でした。まあ、こんなもんか。
ここまでは、パーフェクトでした。

チケットは既に、手元にあるので、トランクをエアーフランスのカウンターに預けて、もう入るだけです。エアーフランスの受付に並んでいると、 エアーフランスの係員の女性が、我々に、なにか、わあ~わあ~言ってる。
この人、なにを言ってるの?全く、分からなかったのです。
前の日本女性が、「ちゃんと所定の入口から入って来て、所定の場所に並んで待って下さい。」って怒ってますよ。
ロープをはってあるだけだし、がらがらだったから、どこからでも入れるし、カウンターで手続きしてるの前の女性一人だけだったから、分かるわけないやん。
一応、彼女の指示に従い、戻って迷路のようなロープが張られた通路をくねくねと曲がって、前とほぼ同じ場所に辿り着く。

待合ターミナルに入ってから、次男が、「おっさん、我々、出発時間、間違えてたぜ。13:30やで。1時間、間違えた。」
そうなんです、昨日、オンラインチェックインする時から、間違えていたのです。


エアバス380です。一度は乗って見たい。でも、ビジネ
スマン達には人気がないようです。乗り降りに時間がかか
りすぎるからだそうです。

待合ターミナルです。関空行きはこの一番先からです。

ランスは今はBIOです。空港内にもBIOの名前が溢れて
ます。そして、昼飯に買ったフランスパンのサンドウィッチ
にも、その裏には「BIO」マークが・・・

2014年11月15日、予定通りに関西空港に帰ってきました。今回も楽しい旅を経験しました。初めて行った昨年よりは、落ち着いてパリの街を見る事が出来たような気がします。5月から習い始めたフランス語も、まだまだ会話にもなりませんが、読む事については格段の進歩をしているのを実感しました。パリの街中にある様々な看板を読めるのは楽しいものです。「Ouvert」この言葉の多い事。そう、パリはいつもオープンなんです。

さて、 この日記を書いている最中の2015年1月7日フランス、パリのシャルリー・エブド新聞社が襲われる一連のテロ事件が勃発しました。心が痛む大事件です。花の都パリをテロの街におとしめた大事件です。
日本人の私から見れば、こんなリスクを冒しても風刺画を描き続ける理由は一体何処にあったのだろうか、と思ってしまいます。

こんな疑問について、東洋経済ONLINEの「フランス式言論の自由は普遍的ではない。」において、パリ政治学院教授・ファブリス・イペルボワンは次のように言っています。
「私たちがフランスで呼ぶところの「言論の自由」だが、私たちなりの定義がある。ほかの多くの国ではアメリカ式の言論の自由の意味で解釈されているので、他国とは大きく違う。フランスの言論・表現の自由の考えは、絶対王政を倒し、近代的ブルジョア社会を作ったフランス革命と切り離すことはできない。絶対王政の時代には王政とカトリック教会は一体化していた。革命は神様が選んだ国王への反乱であり、聖職者に対しての反乱でもあった。革命によって聖職者たちの財産は没収され、共和国の国庫に入った。」
「教会権力を政治から排除すること、批判し、笑うこと。これこそが共和国の建国の精神だ。これをなくしては共和国自体が成り立たない。こうした歴史的経緯から、フランスでは神に対する冒とくは犯罪にならない。この点が伝統の1つになっている唯一の国がフランスだろう。」

なるほど、フランスの自由はよく分かるけれど、それは今やガラス細工の様になりつつあり、リスクを冒しても断固として守り抜かなければならなくなっている現在がある様にも思えます。

このWEBサイトでは、今後パリで起る様々の出来事を「帰ってからのパリの出来事」のページでその都度、書き加えていく予定です。

2015年1月30日